昆布革命ブログ

昆布の都市伝説の真偽!!

まいど!昆布水生みの親・昆布おじさん喜多條です。
昆布水・「umami」責任を持って伝えます。

和食がユネスコの世界文化遺産に登録されたころより、「昆布出し」の取り方についていろいろな都市伝説がうわさされました。僕は昔より昆布出しを取るという風に書いていますが、若い方たちの中には和食の職人さん業界用語「出しを引く」というのが正しく、出しを取るは間違いといわれる方がマニヤの方で居られますが、「出し」は乾物の戻し汁が始まりですから僕たち消費者は「出しを取る」と、言う方が自然ですね!

明治時代の昆布出しのとりかたは復元しました。

3リットルのお水に天然真昆布の表面を固く絞った布巾で軽く拭き50~60gを前の晩から入れて、あくる日に60~70度くらいの温度を保って約40~60分間沸騰をさせないようにして煮ます。

ほとんど二日かかりで昆布出しを取り、昆布を取り出してから沸騰させて盃一杯の水を差し、水の表面が落ち着いたところに上等の花かつおを60~90g入れ火を止めます。カツオが濁りますので決して絞らないで濾してください。

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生涯 昆布屋宣言します!!!

まいど!昆布水生みの親・昆布おじさん喜多條です。
昆布水・「umami」責任を持って伝えます。

僕は昆布屋の3代目です。父親が軍隊の将校だったので戦後仕事がなくなりました。徳島のとても辺鄙な寒村で3男坊に生まれたのである意味「口減らし」のために大阪の親戚を頼って徳島を出てきたみたいです。生まれつき運動神経抜群でテニスで高松宮杯(国体の前身)にも大阪の代表で出たそうです。それ以外にも武術の達人で、剣道8段・居合道7段・柔剣道8段範士で軍隊ではヒーロだったそうです。

国体栃木大会?大阪府選手団団長での雄姿!

軍隊では一流でも昆布屋としては新参者です。たくさんの老舗に囲まれた地域(天満)で慣れぬ商売を始めたことからいろいろと人から言われたそうです。詳しいことは僕たち家族には話しませんでいたが人前では決して涙を見せない親父が便所で嗚咽を挙げているのを何度か聞いたことがありました。創業と同時に岡山の山奥から集団就職で来てくださった僕たち兄弟の育ての親であり、会社にとっては大切な柱の上山敏郎氏(現・大阪昆布海産取締役)が2代目です。

天王寺動物園に連れて行ってもらった時の僕と兄・忠(神田川などの作詞家)

 

高校生で学生運動をしていたころ 読売新聞のカメラマンさんに撮ってもらった写真

大阪昆布海産は父が創業し(初代)上山さんが一人前の昆布問屋にし(2代目)、そして僕が引き継ぎ(3代目)創業70年を機に息子(4代目)に継承いたしました。その間に小売部門に進出するために昭和63年8月に天満大阪昆布を僕が創業しました。一時期は両方の会社の代表者をしていましたが、今は天満大阪昆布だけの代表者です。実質上創業70年昆布屋3代目ですから、今でも僕は常にそのように名乗っています。

天満と昆布が大好きな僕!

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夏こそ昆布水!!!

まいど!昆布水生みの親・昆布おじさん喜多條です。
昆布水・「umami」責任を持って伝えます。

主婦の友社「健康」7月号

とってもとっても有難いことに「昆布水」は一年に2回マスコミに注目を浴びる時期があります。少し前までは冬場のお鍋シーズンの10月~12月でしたが、最近は6月・7月・8月の真夏です。以前よりお鍋シーズンに「出し」特集を組まれる雑誌や番組が多かったのですが、真夏に昆布のことが取り上げられることはほとんどありませんでした。ところが最近少し様子が変わってきました。僕は昆布水の素晴らしさを「美味・健康」にあるとおもっています。 [続きを読む]

昆布出しを取る時に表面を拭く理由!!

まいど!昆布水生みの親・昆布おじさん喜多條です。
昆布水・「umami」責任を持って伝えます。

1985年に当時の辻料理師学園創立者の辻勲先生が監修された「昆布料理帳」という本がある。僕も少しだけお手伝いをした覚えがありますがどんなことをしたか覚えていません。

昆布料理の表紙にすればとても色使いが斬新で、当時よりヘルシーライフを意識されていました。

多分僕は数冊持っていましたが、今手元にある最後の一冊です。

辻先生ほど和洋中の料理に詳しく熱心なかたはおられないのではないでしょうか!僕が勝手に料理の師匠と思っている為後喜光先生は辻勲先生の運転手もされていたそうです。僕も辻学園に通っているときに何度か辻勲先生をお見受けしましたが恐れ多くて一度も直接お話したことはありません。

それほど素晴らしい先生が監修された昆布の本にもやはり出しの取り方は次のように書いてあります。

僕たち昆布屋の全国組織(一社)日本昆布協会 こんぶネットにも同じような記事があります。

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一日一食生活 実践編

まいど!昆布水生みの親・昆布おじさん喜多條です。
昆布水・「umami」責任を持って伝えます。

まさかこんなに長く一日一食生活が続くとは自分自身でも思っていませんでした。それと世の中に一日一食生活をされている方が想像以上に多く居られるでした。(10人上の方より連絡をもらいました。)きっかけは女性の方の場合はやはり一番はダイエットが目的のようですが、男性は健康維持と時間を効率的に使うことを考えておられるようですね!

僕も場合は完全に健康維持と昼間の時間をより効率的に使いたかったのが理由です。もう一つは昔より言われている「朝食絶対主義」への疑問でした。時間栄養学が認知しだしてから人間の一日の実働リズムが本当は25時間で実際と食い違う1時間を取り戻すのには「朝食」が絶対条件のように習ったつもりですが、僕の感覚では少し違いその事に疑問を持ちました。

 

「大阪寿司(箱寿司)」

一日一食生活をはじめて気づいたことです。

これから後の文章はあくまでも喜多條清光個人の感想で、科学的根拠はありませんが一日一食生活実践者は皆さん感じておられます。(きっと本当は科学的根拠もあると思いますが・・・)

➀ 昼間の時間帯にほとんど眠くならない。

② 仕事への集中力がより出てきた。

③ 味覚が鋭くなった。

④ 外食をしなくなった。

⓹ 自然とバランスの良い食事をするようになった。

おおさかもん代表「泉州 みずなす」

 

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訂正します!

 

先日の平成14年産の黒口昆布入手の件で、入手経緯が事実と違うことがあり、関係された方にご迷惑をおかけしました事お詫びいたします。

現物は間違いなく手元にありますが、入手経路がまちがっていました。

喜多條清光

シニア専門 一日一食健康法!!

まいど!昆布水生みの親・昆布おじさん喜多條です。

昆布水・「umami」責任を持って伝えます。

 

 

7年前に心を入れかえて自分の身体の健康を考え出すようになりまりました。それまで悪いとは思いながら続けてきた生活環境を一変しました。理由は2つありました。一つ目は自分自身の体調があまりにも悪く立ち眩みや動悸を感じ始めていました。もう一つは昆布業界を健全な形で継承したい心です。昨日の血液検査表です!

僕は割に気が小さいので影響があってはいけないと思い特別に調べました完璧だそうです!

三世代に渡り67年間僕の身体を見てくださっているご近所に河野医院さんがあります。僕の家庭とは親戚以上のお付き合いをさせてもらっています。河野先生の一言「清光の人生やから好きにしたらいいけれども、このままの生活を続けていればそう長くはないな!」ここから僕の昆布生活が始まりました。

暴飲暴食 光るダブルのスーツ

真冬でも半袖シャツ  身体中脂だらけ!

「昆布革命・昆布水」「お肉の昆布締め」「大阪こんぶ」この三種類の昆布利用法を知っていれば万全ですよ!料理で迷ったらお水の代りに「昆布水」・生もの(魚・肉・野菜)の調理法がわからなければひとまず「昆布締め」・食べて少し味が物足りなかったら「大阪こんぶ」

飲む昆布水!料理に魔法がかかる昆布水!!

昆布の常識が変わった「お肉の昆布締め」

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最高の鴨料理の作り方!!

まいど!昆布水生みの親・昆布おじさん喜多條です。

昆布について僕個人が責任を持って書いています!

僕が初めて鴨料理を食べたのは子供の時父親に連れられて、琵琶湖畔の料理屋さんで鴨鍋を食べたのが最初です。多分40年以上前に話ですが、素直な感想を書きますと二度と食べたくないほど子供には不向きな料理でした。

次に食べたのはバブル真っただ中の時代にできたあちらこちらのフランス料理店でしたが、さほど素晴らしいとは感じませんでいた。カッコをつけて食べていたのが本心です。心から美味しいと思ったのは御影ジュエンヌさんと長浜の鳥新さんで鴨料理を口にしてからです。

ジュエンヌさんの料理!

フランス料理ではシャラン産の鴨がいちばんで、日本料理では早朝に飛び立つ青首の鴨が最高級だったそうです。

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最高の鴨料理を教えます!!NO.1

まいど!昆布水生みの親・昆布おじさん喜多條です。

昆布について僕個人が責任を持って書いています!

僕は昆布問屋の次男として大阪・天満で生まれました。昭和26年1月8日(1951年)うさぎ年です。兄弟は3歳年上の兄と3歳年下の妹の3人兄弟です。兄は子供のころに小児結核を患って中学校に行くまでは、全く屋外で運動ができず家で本ばかりを読んでいて、信じられないくらいにむつかしい言葉や漢字を知っていました。きっとそのせいで今の職業をしているのだと思います。

小学生の喜多條忠

長男ですから本来は昆布屋になるはずだったのが、早稲田大学に通っているときに作家になりたくて文化放送の台本作家をアルバイトでしているとき、南こうせつさんと出会いあの昭和の名曲「神田川」で一気に売れっ子作詞家になった喜多條忠です。

今では日本作詞家協会の会長をしており、本人曰く「公務が忙しくて私的時間や私的趣味の時間がない!」と、嘆いています。あれほど大好きだった競艇も完全に止めてしまったそうですよ!大の賭け事好きだった男兄弟2人とも(僕も賭け事が大好きで、特に麻雀では日本チャンピオンに2度なっていました。)時を同じくして自分の本業だけしかしなくなったというのも不思議ですね。

子供の時以来のツーショット

そんな訳で(よくわからないでしょうが)僕は子供のころは、弁護士さんか中華料理のコックさんになりたかったです。しかし弁護士さんは僕が少し吃音気味なのと能力がないので早くから諦めていましたが、コックさんは今でも憧れの職業です。母親がとても料理上手だったので横について、何時も見よう見まねで和食を作っていました。母親は菜切り包丁だけで全ての料理をこなしていましたので、僕は今でも菜切り包丁一本で小さな鯛くらいは簡単にお刺身にできますよ。

天王寺動物園で昆布の大師匠・上山敏郎さんと兄弟です。

中華料理は人に習ったことはありませんが自分で作る料理はほとんど中華料理でした。バブル時代に大阪にも本格的なイタリア・フランス料理が流行りだし、ル・コルドンブルーというフランス料理専門の料理教室が近所にでき、8年間僕はそれまでほとんど食べた経験のなかったフレンチ・イタリアンを勉強しました。おかげで和・洋・中の料理は人並にできるつもりです。

鳩と羊肉

御影ジュエンヌさんの鳩料理

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昆布革命への道!!!

まいど!昆布水生みの親・昆布おじさん喜多條です。

6年前のちょうど2月頃でした。

前の年から、段々と出し昆布が売れなくなってきたのです。

天然利尻昆布採取風景です!

 

僕は昆布屋の次男として生まれ、19歳の時よりずっと昆布屋をしています。

 

高校時代から昆布屋になるまでの間には、普通の人では絶対できない経験をしてきましたが内容は内緒です。

 

 

稚内地方での天日干し風景。