昆布革命ブログ

最高の鴨料理の作り方!!

まいど!昆布水生みの親・昆布おじさん喜多條です。

昆布について僕個人が責任を持って書いています!

僕が初めて鴨料理を食べたのは子供の時父親に連れられて、琵琶湖畔の料理屋さんで鴨鍋を食べたのが最初です。多分40年以上前に話ですが、素直な感想を書きますと二度と食べたくないほど子供には不向きな料理でした。

次に食べたのはバブル真っただ中の時代にできたあちらこちらのフランス料理店でしたが、さほど素晴らしいとは感じませんでいた。カッコをつけて食べていたのが本心です。心から美味しいと思ったのは御影ジュエンヌさんと長浜の鳥新さんで鴨料理を口にしてからです。

ジュエンヌさんの料理!

フランス料理ではシャラン産の鴨がいちばんで、日本料理では早朝に飛び立つ青首の鴨が最高級だったそうです。

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最高の鴨料理を教えます!!NO.1

まいど!昆布水生みの親・昆布おじさん喜多條です。

昆布について僕個人が責任を持って書いています!

僕は昆布問屋の次男として大阪・天満で生まれました。昭和26年1月8日(1951年)うさぎ年です。兄弟は3歳年上の兄と3歳年下の妹の3人兄弟です。兄は子供のころに小児結核を患って中学校に行くまでは、全く屋外で運動ができず家で本ばかりを読んでいて、信じられないくらいにむつかしい言葉や漢字を知っていました。きっとそのせいで今の職業をしているのだと思います。

小学生の喜多條忠

長男ですから本来は昆布屋になるはずだったのが、早稲田大学に通っているときに作家になりたくて文化放送の台本作家をアルバイトでしているとき、南こうせつさんと出会いあの昭和の名曲「神田川」で一気に売れっ子作詞家になった喜多條忠です。

今では日本作詞家協会の会長をしており、本人曰く「公務が忙しくて私的時間や私的趣味の時間がない!」と、嘆いています。あれほど大好きだった競艇も完全に止めてしまったそうですよ!大の賭け事好きだった男兄弟2人とも(僕も賭け事が大好きで、特に麻雀では日本チャンピオンに2度なっていました。)時を同じくして自分の本業だけしかしなくなったというのも不思議ですね。

子供の時以来のツーショット

そんな訳で(よくわからないでしょうが)僕は子供のころは、弁護士さんか中華料理のコックさんになりたかったです。しかし弁護士さんは僕が少し吃音気味なのと能力がないので早くから諦めていましたが、コックさんは今でも憧れの職業です。母親がとても料理上手だったので横について、何時も見よう見まねで和食を作っていました。母親は菜切り包丁だけで全ての料理をこなしていましたので、僕は今でも菜切り包丁一本で小さな鯛くらいは簡単にお刺身にできますよ。

天王寺動物園で昆布の大師匠・上山敏郎さんと兄弟です。

中華料理は人に習ったことはありませんが自分で作る料理はほとんど中華料理でした。バブル時代に大阪にも本格的なイタリア・フランス料理が流行りだし、ル・コルドンブルーというフランス料理専門の料理教室が近所にでき、8年間僕はそれまでほとんど食べた経験のなかったフレンチ・イタリアンを勉強しました。おかげで和・洋・中の料理は人並にできるつもりです。

鳩と羊肉

御影ジュエンヌさんの鳩料理

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世界の料理界がびっくり!お肉の昆布締め!

【 まさか!お肉の昆布締めを! 】

 

まいど!昆布水生みの親・昆布おじさん喜多條です。

大阪料理に「昆布締め」という技法があります。

上等の真昆布を日本酒で拭いて少し湿らせてから、白味魚(鯛・平目)を柵取りし、打ち塩をして半日〜2日冷蔵庫で寝かせておき、食べる直前に切り分ける高等技術のいる料亭料理でした。

なかなか家庭料理には馴染まない料理法の1つですね!

昆布おじさんはお魚の昆布締めの家庭で簡単にでき、長期間保存できる方法を編み出しているのですが、別のブログで書きますね!

 

今日は昆布革命と共に料理界に大旋風を起こした「お肉の昆布締め」をじっくり説明しますね!

「トンテキ肉の昆布締めステーキ」

「材料」

道南産促成真昆布

お肉の昆布締め用には一番向いている昆布は、「道南産促成真昆布」です!

昆布の本質をよくご存知ない高級料理店さんでは、値段だけで「天然利尻昆布」「羅臼昆布」などのお出しの出過ぎる昆布を使っておられますが、うまく「お肉の昆布締め」を提供されていないのが現状です。

 

 

 

 

 

 

 

「お肉」 [続きを読む]