昆布革命ブログ

おぼろ昆布ととろろ昆布!!

まいど!昆布水生みの親・昆布おじさん喜多條です。
昆布水・「umami」を責任を持って伝えます。

白爪昆布 「頭爪」と「尻爪」があります!

昆布を削る時に手で引っ張る部分は削れませんので、おやつ昆布として食べたり、特別にはフグ鍋(関西ではてっちり=鉄砲=たまに当たる)のお出し用に使われます。アクが出なくてとても上品なお出しです!

白板昆布(8寸)約30cm

白板昆布断面図(6寸)

霜地昆布の大きさで14cm~60㎝までの白板昆布を切り分けます。昆布職人さんとは別に切り分け専門のご婦人がおられます。

上方で使うお祝い昆布(6寸・8寸)

お正月のお餅のお飾りには上から橙(先祖代々)楪(譲りながら)干し柿(2・6・2になっていて、夫婦仲睦まじく)白板昆布(よろこんぶで)餅(丸く)裏白(表も裏の心しろく)と、必ず白板昆布が飾られます。

寿司常4代目当主の技

これが本来のバッテラ寿司の姿!!

2代目ご主人が大阪湾で大量に捕獲された「コノシロ(こはだ)」を酢締めにして発明したバッテラ寿司!コノシロの形がバテラ(小船の意味)に似ていたので名ずけられた。

北海道道南産「とろろ昆布」!!

天然真昆布と醸造酢だけで作った貴重なとろろ昆布ですよ!

「おぼろ昆布」は昆布職人さんが手作業で削りますが、とろろ昆布は60kgくらいの昆布をプレスして機械で削ります。僕の会社では原材料が昆布だけの商品も沢山ありますよ!!

昆布と天神祭!!

まいど!昆布水生みの親・昆布おじさん喜多條です。
昆布水・「umami」を責任を持って伝えます。

7月に入ると僕が昆布の商売をしている大阪・天満界隈は天神祭一色になります。大阪天満宮を中心にして発達してきた街ですから、年に一度だけ菅原道真公が氏地を陸と水上から視察される最大の催しです。

今年4月に名誉宮司になられ寺井種伯長老(神社庁の最高位が長老です。)

 

町中が「○○兄ちゃん」「○○姉ちゃん」(目上に尊敬を込めた7月だけの敬語)、そして年下の者には「霧香」「かなめ」という風に呼び捨てです。ただし沢山ある天神祭の講でのことです。天神祭は多くの「講」が協力しながら日本一立派なお祭りを作り上げています。(僕たち「天満の人間」には日本一と書かせてくださいね!)

天満宮には10社以上のお社があり、白米稲荷に奉納させていただいている提灯です。

白米稲荷の後ろ側に【西区・昆布商】と彫られた立派な石の台座に、あまり立派でない牛の像があります。

僕が子供のころには無くていつの間にありましたので、きっと台座と像は違う人が違う時期に奉納したのだと思います。小説「銀二貫」にあるように当時賑わっていた昆布問屋さんの何方かが奉納したものと思いますが記録は残っていませんし、この事柄を知っているのは「こんぶぶんこ」の段野さんと僕だけかもしれませんね!

日本一早い稚内産利尻昆布奉納  稚内漁業協同組合様より

20年近く前に昆布奉拝船にご招待して以来毎年その年の最高の稚内昆布を奉納してくださっています。本来は検査協会の検査を受けてからでないと昆布を出荷してはいけないのですが、天神祭だけは特別に便宜を図っていただいています。

獅子舞がお祓いに来てくれます。

会社の中まで入り込んで踊ってくれてお祓いをしてくれます!

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昆布の都市伝説の真偽!!

まいど!昆布水生みの親・昆布おじさん喜多條です。
昆布水・「umami」責任を持って伝えます。

和食がユネスコの世界文化遺産に登録されたころより、「昆布出し」の取り方についていろいろな都市伝説がうわさされました。僕は昔より昆布出しを取るという風に書いていますが、若い方たちの中には和食の職人さん業界用語「出しを引く」というのが正しく、出しを取るは間違いといわれる方がマニヤの方で居られますが、「出し」は乾物の戻し汁が始まりですから僕たち消費者は「出しを取る」と、言う方が自然ですね!

明治時代の昆布出しのとりかたは復元しました。

3リットルのお水に天然真昆布の表面を固く絞った布巾で軽く拭き50~60gを前の晩から入れて、あくる日に60~70度くらいの温度を保って約40~60分間沸騰をさせないようにして煮ます。

ほとんど二日かかりで昆布出しを取り、昆布を取り出してから沸騰させて盃一杯の水を差し、水の表面が落ち着いたところに上等の花かつおを60~90g入れ火を止めます。カツオが濁りますので決して絞らないで濾してください。

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昆布出しを取る時に表面を拭く理由!!

まいど!昆布水生みの親・昆布おじさん喜多條です。
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1985年に当時の辻料理師学園創立者の辻勲先生が監修された「昆布料理帳」という本がある。僕も少しだけお手伝いをした覚えがありますがどんなことをしたか覚えていません。

昆布料理の表紙にすればとても色使いが斬新で、当時よりヘルシーライフを意識されていました。

多分僕は数冊持っていましたが、今手元にある最後の一冊です。

辻先生ほど和洋中の料理に詳しく熱心なかたはおられないのではないでしょうか!僕が勝手に料理の師匠と思っている為後喜光先生は辻勲先生の運転手もされていたそうです。僕も辻学園に通っているときに何度か辻勲先生をお見受けしましたが恐れ多くて一度も直接お話したことはありません。

それほど素晴らしい先生が監修された昆布の本にもやはり出しの取り方は次のように書いてあります。

僕たち昆布屋の全国組織(一社)日本昆布協会 こんぶネットにも同じような記事があります。

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