昆布革命ブログ

生涯 昆布屋宣言します!!!

まいど!昆布水生みの親・昆布おじさん喜多條です。
昆布水・「umami」責任を持って伝えます。

僕は昆布屋の3代目です。父親が軍隊の将校だったので戦後仕事がなくなりました。徳島のとても辺鄙な寒村で3男坊に生まれたのである意味「口減らし」のために大阪の親戚を頼って徳島を出てきたみたいです。生まれつき運動神経抜群でテニスで高松宮杯(国体の前身)にも大阪の代表で出たそうです。それ以外にも武術の達人で、剣道8段・居合道7段・柔剣道8段範士で軍隊ではヒーロだったそうです。

国体栃木大会?大阪府選手団団長での雄姿!

軍隊では一流でも昆布屋としては新参者です。たくさんの老舗に囲まれた地域(天満)で慣れぬ商売を始めたことからいろいろと人から言われたそうです。詳しいことは僕たち家族には話しませんでいたが人前では決して涙を見せない親父が便所で嗚咽を挙げているのを何度か聞いたことがありました。創業と同時に岡山の山奥から集団就職で来てくださった僕たち兄弟の育ての親であり、会社にとっては大切な柱の上山敏郎氏(現・大阪昆布海産取締役)が2代目です。

天王寺動物園に連れて行ってもらった時の僕と兄・忠(神田川などの作詞家)

 

高校生で学生運動をしていたころ 読売新聞のカメラマンさんに撮ってもらった写真

大阪昆布海産は父が創業し(初代)上山さんが一人前の昆布問屋にし(2代目)、そして僕が引き継ぎ(3代目)創業70年を機に息子(4代目)に継承いたしました。その間に小売部門に進出するために昭和63年8月に天満大阪昆布を僕が創業しました。一時期は両方の会社の代表者をしていましたが、今は天満大阪昆布だけの代表者です。実質上創業70年昆布屋3代目ですから、今でも僕は常にそのように名乗っています。

天満と昆布が大好きな僕!

昆布屋になってから30年近くは親の後継ぎになったことを心底後悔しました。親族後継者の人はみんな同じ思いを一度はされていると思います。「あなたのお父さんにはお世話になったので、息子さんに頼まれたらいやとも言えないですね。」この言葉は後継者の胸を引き裂く言葉です。僕も最初は50歳で昆布屋を止めると周りには言っていましたが、経済情勢がそんな環境ではなくズルズルと昆布屋を続けていました。

バブルからバブル崩壊時代

そして60歳頃には真剣に昆布屋を止めて北海道で昆布漁師になりたいと現実逃避的なことを考えていました。が、しかしそのまま消えていったのではこれまで大阪の昆布文化を一緒になって支えてきてくれた人たちに申し訳立たないと思い、死ぬほどの想いをしてたどり着いたのが「昆布革命」でした。この6年間不眠不休で昆布の未来像を描いてきましたがやっと少しづつ実を結びかけています。

昆布の神様が教えてくれた次世代昆布「昆布革命」!


座右の銘:  いまやらねば いつできる わしがやらねば たれがする  平櫛田中

社是:    老舗じゃないから チャレンジする!

将来への想い:日本の昆布で世界の人々に「美味・健康」を届けたい!

喜多條清光は生涯昆布屋を続けます!

 

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