昆布について僕個人が責任を持って書いています!
僕は昆布問屋の次男として大阪・天満で生まれました。昭和26年1月8日(1951年)うさぎ年です。兄弟は3歳年上の兄と3歳年下の妹の3人兄弟です。兄は子供のころに小児結核を患って中学校に行くまでは、全く屋外で運動ができず家で本ばかりを読んでいて、信じられないくらいにむつかしい言葉や漢字を知っていました。きっとそのせいで今の職業をしているのだと思います。
小学生の喜多條忠
長男ですから本来は昆布屋になるはずだったのが、早稲田大学に通っているときに作家になりたくて文化放送の台本作家をアルバイトでしているとき、南こうせつさんと出会いあの昭和の名曲「神田川」で一気に売れっ子作詞家になった喜多條忠です。
今では日本作詞家協会の会長をしており、本人曰く「公務が忙しくて私的時間や私的趣味の時間がない!」と、嘆いています。あれほど大好きだった競艇も完全に止めてしまったそうですよ!大の賭け事好きだった男兄弟2人とも(僕も賭け事が大好きで、特に麻雀では日本チャンピオンに2度なっていました。)時を同じくして自分の本業だけしかしなくなったというのも不思議ですね。
子供の時以来のツーショット
そんな訳で(よくわからないでしょうが)僕は子供のころは、弁護士さんか中華料理のコックさんになりたかったです。しかし弁護士さんは僕が少し吃音気味なのと能力がないので早くから諦めていましたが、コックさんは今でも憧れの職業です。母親がとても料理上手だったので横について、何時も見よう見まねで和食を作っていました。母親は菜切り包丁だけで全ての料理をこなしていましたので、僕は今でも菜切り包丁一本で小さな鯛くらいは簡単にお刺身にできますよ。
天王寺動物園で昆布の大師匠・上山敏郎さんと兄弟です。
中華料理は人に習ったことはありませんが自分で作る料理はほとんど中華料理でした。バブル時代に大阪にも本格的なイタリア・フランス料理が流行りだし、ル・コルドンブルーというフランス料理専門の料理教室が近所にでき、8年間僕はそれまでほとんど食べた経験のなかったフレンチ・イタリアンを勉強しました。おかげで和・洋・中の料理は人並にできるつもりです。
鳩と羊肉
御影ジュエンヌさんの鳩料理
鳥料理もいろいろありますね。鶏・鴨・アヒル・うずら・鳩・すずめ・鴫・ダチョウ・山鳥・雉・と僕自身が料理したことのある鳥だけでも10種類あります。そのなかで僕が一番好きな鳥は鴨です!鴨料理は和・洋・中と料理したことがあります。
フカヒレの姿煮
鴨肉の広東料理
鴨鍋・治部煮・焼き鳥・鴨ロースト・北京ダック風鴨など、冬になると長浜の魚新さんの鴨鍋が毎年恋しくなりますが、今回僕が作った「鴨の昆布締め」はこれまで僕が経験した鴨料理で最高の出来栄えでした!作り方を書こうとしましたが脱線ばかりで次回のブログではキッチリとかきますね。
河内鴨のロース肉
鴨鍋鉄砲仕立て